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副院長のひとり言
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平成19年05月 VOL.2
副院長のひとりごと・・・・・・
“副院長のひとりごと”といって始めたのはいいが、その後全くの音沙汰なしでごめんなさい。これからは、なるべく定期的に続けようと思いますので、何か要望があればお知らせ下さい。
今日は当院の駐車場に立っている二宮金次郎の像についてです。
いまどき“二宮さん”の像は珍しいのか、近所の方が散歩のついでに見に来てくださったり、リハビリをやっている人があそこまで行って“二宮さん”の像にタッチするのを目標にしていたりと、当院の人気キャラクターになっています。
どこの学校にも校門の近くにあった記憶のある二宮さんですが、最近はとんと見かけません。
地道に努力することが今は流行らないのでしょうか。求人難で若者がチヤホヤされるこの時代に堅実な努力を勧めるのは無理でしょうか。
でも私は、この二宮さんを見て少しでもその人生にふれた人が今後も着実な努力を積み重ねていくことをきっかけにして下さることを祈って、これからも当院のシンボルとしていきたいと思っています。
にのみやそんとく 二宮尊徳 1787〜1856 江戸時代後期の農政家。相模(さがみ)国足柄上郡栢山(かやま)村に生まれる。
通称金次郎。
少年時、酒匂(さかわ)川洪水のため一家離散のうきめをみたが、勉学と勤倹力行の末34歳のとき4町歩余の地主となった。その手腕により小田原藩家老服部家の家政復興を託されたのをはじめとし、小田原領下野(しもつけ)国桜町、下館藩、烏山藩、相馬藩などで農村復興に専念した。56歳、水野忠邦により幕臣に登用、利根(とね)川分水計画、さらに日光神領復興を命じられたが事業半ばで没した。分度と推譲を中心とする尊徳の説は、富田高慶、福住正兄らの弟子により広められ、報徳社運動として現在に及んでいる。
<二宮尊徳全集>(36巻)がある。
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